わが家のカレンダーには、少し変わった「担当制」があります。知的障害のある長女のケアや福祉機関とのやり取りは私。一方で、定型発達で「優等生タイプ」の息子たちの学校行事は夫。この役割分担は、話し合って決めたというより、それぞれの「性質」に導かれるようにして、自然と形作られたものでした。
【夫】光のサポート
- ✅ 息子たち(定型発達)の担当
- ✅ 学校行事・進路相談への出席
- ✅ 社会的な「優秀さ」への適応
家全体のバランスを保つ「外向き」の柱
【筆者】影・土台の伴走
- ✅ 長女(知的障害)の担当
- ✅ 福祉機関・支援学校との連携
- ✅ 「ままならない現実」への共感
娘と同じ歩幅で歩む「内向き」の土台
「光」と「影」、それぞれの居場所
なぜ私は、息子たちの参観日から足が遠のいてしまったのか。それは、高い偏差値や輝かしい進路が当たり前に語られる「優秀な子」が集まる場所で、そこにふさわしい母親として振る舞うことに、言いようのない息苦しさを感じていたからです。
一方で、長女の通う支援学校や福祉の現場に行くと、不思議と肩の力が抜けます。一歩進んでは二歩下がるような、ままならない日常。そこにある泥臭いやり取りの方が、不器用な私の本質にはしっくりくるのです。
夫が「光」の当たる場所で息子たちを支え、私が「影」や「土台」として娘を支える。一見、偏っているようにも見えるこの分担は、わが家が崩壊せずに歩み続けるための、切実で合理的な「生存戦略」でした。
「ビッグマザー」にはなれないけれど
私には、世間で言われるような「母性」が欠けているという自覚があります。表情豊かに笑ったり、温かな手料理で家族を包み込んだりすることが苦手なのです。そんな私の欠落を埋めてくれたのが、近所に住む姑の存在でした。
姑は、私が持っていない「母性的な温もり」を孫たちにたっぷり注いでくれました。息子たちが私には見せないような笑顔を祖母に向ける時、私は嫉妬ではなく、深い感謝を感じます。姑が「家庭の味」や「心のふるさと」を教えてくれたおかげで、私は自分をすり減らさずに済んだのだと思います。
| 要素 | 筆者(自分) | 姑(ビッグマザー) |
|---|---|---|
| 主な関わり | 事務的・現実的な支援 | 情緒的・母性的な温もり |
| 孫への影響 | 客観的な視点 | 家庭の味・心のふるさと |
| 役割のイメージ | 淡々とした並走 | 包み込むような受容 |
しかし、その大きな存在がいつか去ってしまうことへの不安もあります。年末年始、成長した息子たちが帰省する際、姑が守ってきた「家庭の味」を自分ひとりで再現できるだろうか。キッチンで頭を抱えながら、改めて「母親という役割」の重さを噛み締めています。
受け継がれる血、断ち切る連鎖
私の母もまた、複雑な葛藤を抱えて生きてきた人でした。キャリアウーマンで忙しかった実母の代わりに祖母に厳しく育てられ、情緒不安定で波瀾万丈な人生を送った母。家族の和よりも自分の感情を優先してきた彼女に対し、私は長年、冷ややかな視線を送ってきました。
しかし、80歳を過ぎた母からのとりとめもない長電話に付き合う中で、最近ふと思うのです。母の「執着」や「見捨てられ不安」も、彼女なりの切実な生の形だったのではないか。完璧な親など存在せず、誰もが自分の凸凹を抱えながら、必死に誰かとつながろうとしている。
結びに:凸凹なまま、手を握る
親だからといって、すべての子に完璧に伴走できるわけではありません。自分の不得意を認め、居心地の悪い場所からはそっと身を引く。その分、自分と同じ温度感で生きる長女の手を、しっかりと握る。
「理想の母親像」という型にはまることは諦めました。その代わり、夫や姑、そして過去の自分とも折り合いをつけながら、この家族というパズルのピースを繋ぎ止めていたい。そんな「凸凹な親」の在り方があってもいいのだと、今は静かに自分を肯定しています。


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