型や形式にとらわれていた父親を批判的に見ていた割には、自分も家族の在り方を考える時に、型や形式とは何かを追求しようとすることがあります。
私が住む田舎では、親と子夫婦の敷地内同居、あるいは近居の割合が都会に比べると高いと感じます。それでも、かつての農地が住宅地へと開発され、核家族世帯も増えてきました。地域の高齢者と話すと、親家族と子家族を1セットで指し示す表現をよく耳にします。先祖から受け継いできた土地を子孫に分割してきた歴史が、人々の呼び名や関係性の中に今も息づいているのです。
義実家との距離感と「跡取り」の意識
私たちは10年前、義実家から車で5分ほどの隣市に家を建て、県外から引っ越してきました。敷地内同居ではありませんが、月数回は顔を合わせる付き合いです。夫は次男ですが、長男が都会に出ているため、義親は夫を実質的な跡継ぎと考えているようです。
幸い、農地を維持しなければならないプレッシャーはそれほど強くありません。姑は「舅が動けなくなれば売ってもいい」と言いますが、土地を維持するとなれば自治会や水利組合との濃い付き合いが避けられません。かつては冠婚葬祭を地域で助け合っていた場所です。最近は家族葬が増え、繋がりも希薄化しているようですが、神社や墓のお世話といった「土地にセットでひっついてくるお付き合い」をどこまで引き継ぐべきか、迫りくる不安を感じることもあります。
家族の在り方と「型」の相関図
- 📍 土地のしがらみ: 神社・墓守・水利組合
- 🤝 地域の繋がり: 自治会・お祭り・役員
- 🏠 家意識: 「同じ囲いに入る者は家族」
- 👥 跡取り: 次男夫婦への実質的期待
- 🍂 熟年離婚: 父と母は別々の生活
- 🧓 母: 民生委員として地域貢献(自立)
- 👴 父: 心理的壁があるが、付かず離れず
- 📞 繋がり: 電話や贈り物での親孝行
自分のキャパシティを考えながら、ボランティア活動などで「誰かの役に立つ喜び」を感じつつ、
過度なしがらみからは距離を置く「ちょうど良い型」を探している。
「家」という囲いの中での葛藤
離婚の危機が絶えなかった生家で育った私にとって、義実家への嫁入りはかなりのストレスでした。体裁を整えるのに精一杯だった実父とは違い、義実家には「家に入った者は同じ囲いの家族」という強い意識があります。姑は一貫して私を立て、息子以上に可愛がってくれました。そのおかげで、かつては「なんだあの嫁は」と思われていたかもしれない私の立場も、守られてきたのだと思います。
昨年秋、地域の祭りの役にあたったということで、舅がせっせと庭や和室を片付けていました。大量の植木鉢を断捨離するということで、いくつか譲り受けてきました。
祭りの手伝いについて姑に尋ねると、「顔を出し始めると声がかかるようになるから、来なくていい」と言われ、ホッとしたのが本音です。自分のキャパシティを考えながら、今はできる範囲で「押し引き」をしているところです。
親の背中と、これからの向き合い方
一方で、実家の母は80代になった今も民生委員として地域のために活動しており、それを誇りにしています。生き生きと語る母を見ていると、お世話をされる側になる前に、誰かの役に立てる立場でいられることは、娘としても心底よかったと感じます。
私も今、運転ボランティアをしていますが、今日関わった90歳近いおばあちゃんが亡き祖母に似ていて、ふと懐かしくなりました。お世話をする方に身近な人を重ねることが、最近よくあります。
色々あった家族ですが、残された時間は長くありません。母とは気持ちよく対話をし、心理的な壁を感じてしまう父に対しても、贈り物などを通じて付かず離れずの関係を保ちたい。後悔しないよう、今の自分なりの「家族の型」を模索しています。
2026年のお正月、義実家へは直に挨拶に行きました。県外に住む私の両親は、熟年離婚をして今は別々に暮らしていますが、電話で子供たち4人と新年の挨拶をさせることができました。
今年、双方の両親が皆、どうか無事でありますように。
初詣では、ただそれだけを願いました。


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