結局は「やりよる人」が強い話 —— 田舎の公共性と実効支配の力学

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導入:田舎暮らしで見えてきた「名もなき奉仕者」たち

田舎へ移住して気づかされるのは、行政や組織の仕組み以上に、「個人の自発的な奉仕」によって支えられている空間が驚くほど多いということです。

カラスに食い散らかされるゴミ置き場を黙々と掃除する人、自治会館に花を絶やさない人、雨の日も通学路に立つ人。彼らはなぜ、報酬もないのにそこまで動くのか。その背景には、単なる善意を超えた「生存戦略」と「沈黙の権力」が見え隠れします。

結論から言えば、コミュニティにおいては「やりよる人(実行する人)」こそが最強であるという真理です。

「奉仕」が「権力」に変わる構造

「面倒なことを引き受ける」という行為は、周囲に対して強力な発言権、あるいは「文句を言わせない壁」を築くことにつながります。この力学を図式化すると以下のようになります。

【やりよる人】の実効支配メカニズム
① 実行(泥をかぶる) 誰もが嫌がる面倒な作業を一身に引き受ける
② 負債(心理的圧力) 周囲に「申し訳ない」「頭が上がらない」という意識が生まれる
③ 封殺(不干渉の確立) 「文句があるなら自分でやれ」という無言の圧力が完成
④ 自由(実効支配) 誰にも邪魔されず、自分のやり方を通す権利を得る

奉仕は「犠牲」であると同時に、自分を守り、場所を支配するための「盾」でもあるのです。

公共の場における「自衛」としての奉仕

例えば、ゴミ置き場の管理を完璧に行う人は、その場所のルールを決定する実質的な主導権を握ります。

これは過去にコミュニティ内で摩擦を経験した人が、二度と立場を悪くしないために「完璧に役割をこなす」ことで、自らの居場所を強固に防衛している側面もあるのかもしれません。

誰に頼まれずとも、お墓の掃除やお地蔵さんへの供え物を続ける姿は、周囲に「あの人が関わっている領域には手出しできない」という不可侵の印象を与えます。

家庭内介護にみる「現場」の絶対的優位

この構造は、家庭内、特に「老親の世話」において最も顕著に現れます。

認知症が進み、施設入所を検討する段階になったとき、普段何も手伝わない親族(外野)が「自宅でみてあげたら?」と理想論を口にすることがあります。しかし、実際に毎日泥をかぶっている人間が、

「じゃあ、あなたが自宅でみたら?」

と一言返せば、議論は即座に終了します。

どれほど正論を並べても、「現場で手を動かしている人間」の決定権を覆すことはできません。

結論:ゴミと死、そして持続する覚悟

墓守の問題も、自治会のゴミ管理も、本質は同じです。

「誰かがそこで生活し続けている以上、ゴミは出続け、人はいつか死ぬ」という、逃れられない現実を誰が引き受けるのか。

次の代に何を持ち越すかは課題ですが、少なくとも今この瞬間、その場所を維持しているのは、理屈ではなく「やりよる人」です。

面倒なことを引き受けることは、一見損な役回りに見えます。しかし、それはコミュニティにおいて最も揺るぎない、そして最も「自由」な立場を手に入れるための、したたかな生存戦略なのかもしれません。

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