境界線を引く勇気――「正解のない選択」の先にたどり着いた、娘と私の新しい距離

家族

「ボランティアで接する高齢者にはあんなに優しくできるのに、なぜ実の親や娘のことになると、心に壁が立ってしまうのだろう」
運転ボランティアを始めて半年。対象者の方々との穏やかな時間に清々しさを感じながら、私は自らの内側にある複雑な感情を見つめていました。そこには、純粋な善意だけではない、義務感や「モラル警察」の視線に怯える自分がいたからです。

けれど今、21歳になった長女がグループホームに入所して1年が経ち、ようやく一つの答えが見えてきました。それは、「愛するために、適切な距離(境界線)を引く」という、切実で前向きな選択でした。

嵐の中の「麻痺」と、後悔の記憶

振り返れば、長女との21年間は試行錯誤の連続でした。

10年前の私は、娘の障害を認められず「まだ伸び代があるはず」と必死に背中を叩き続けていました。届かないハードルを課し、宿題ができない娘に苛立つ日々。それが娘にどれほどの心理的負担を与えていたか……。今の私を当時の自分に見せたら、後悔で言葉を失うかもしれません。

娘が成長するにつれ、激しさを増す癇癪。私は自分を守るために、心にバリアを張り、感覚を「麻痺」させることで嵐が過ぎ去るのを待つしかありませんでした。

「お母さん、側にきて」

そう甘える娘の肌の温かさを愛おしく思う一方で、「早くどこかへ行ってほしい」と願ってしまう。矛盾する感情に引き裂かれ、出口のない慢性的な鬱のような暗闇の中にいました。

「自立」という名の、薄氷を踏む決断

転機は1年前。娘のグループホーム入所を決めたときです。

世の中には自宅で献身的に支え続ける親御さんもいます。モラル警察が「それは親の身勝手ではないか」と囁きましたが、私は確信していました。このままでは、共倒れになってしまう、と。

「邪魔者だから出すんじゃない。20歳になったから、自立の準備をしよう」

弟の大学進学に合わせ、ポジティブな言葉をかけ続けました。練習期間中、娘が知恵熱を出したときは胸が締め付けられ、「お迎えに行きたくない母親だと思われていないか」と世間の目を気にする自分にも疲れ果てました。

しかし、妹にポツリと漏らした娘の言葉が私を救いました。

「私は夏頃には、一人暮らしをするから」

彼女なりに、新しい未来を受け入れようとしてくれていたのです。

「境界線」がもたらした、仏のような眼差し

母と娘の「境界線」の変化

【以前】密着と麻痺

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距離が近すぎて、娘の感情がダイレクトに母へ伝染。自分を守るために心を「麻痺」させるしかない状態。

【現在】適切な境界線

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グループホームという「安心の壁」があることで、お互いの人生を尊重。余裕を持って向き合える状態。

離れて暮らして初めて、自分がどれほど神経を張り詰めていたかに気づきました。物音を立てずに歩く癖、娘の感情の起伏に合わせて自分の生活時間を調整する癖。

今、私たちは「境界線」の上に立っています。

先日、娘から「情緒不安定だからお出かけしたい」と連絡がありました。以前なら絶望していたその訴えも、今の私なら「1時間だけ買い物に行こうか」と、余裕を持って応えることができます。

グループホームの職員さんという「対応のプロ」を信頼し、自分ひとりで背負うことを手放したとき、私は初めて娘を「愛らしい存在」として、ありのまま受け止めることができたのです。去年の涙は、今のこの平穏に辿り着くために必要なプロセスでした。

これまでの歩みと心の変容

1 葛藤期(10年前)
「まだ伸び代があるはず」と期待を捨てきれず、無理をさせていた時期。
2 受容期(高校入学前後)
療育手帳を取得。「ありのまま」を受け入れ、福祉の力を借りる決意をする。
3 構築期(入所準備)
「自立」としてのホーム入所。親亡き後を見据えた社会ネットワークを作る。
4 共生期(現在)
適度な距離感で、娘を「愛らしい存在」としてありのまま愛せる日々。

 誰かに頼ることは、娘の未来を耕すこと

かつての私は、娘の障害を家族の「あら」として隠そうとしていました。けれど、ある相談員さんの言葉が、私を呪縛から解き放ってくれました。

「お母さん、きょうだいに背負わせなくていい。今は抱え込まなくていい制度があるんだよ」

その日から、私の「庭」の手入れ(niwakatsu)が変わりました。

「隠す」から「公にする」へ。金銭管理を社協に委託し、移動支援やデイサービスのネットワークを広げる。私がボランティア活動を続けるのも、地域に顔を知ってもらい、私が亡き後も娘を見守ってくれる「人の輪」を作るためです。

結び:未完成な善意で生きていく

ボランティアで見せる笑顔も、家族に対して抱く戸惑いも、どちらも偽りのない私の姿です。

完璧な善意で動けない自分を、もう責める必要はありません。大切なのは、社会的な正解に自分を合わせることではなく、葛藤しながらも自分が納得できる「心の置き場所」を探し続けること。

人生の折り返し地点。これからも義実家の土地管理や役割の変化など、正解のない問いは続くでしょう。けれど、時には誰かの手を借り、時には境界線を守りながら、私は私なりの「niwakatsu」を続けていこうと思います。

この手探りの日々が、いつか数年後の自分にとって、静かな内省の記録となることを信じて。

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