(2025年3月14日のブログ記事のリライトです。)
1. 受験の影で揺れる、もう一人の「自立」
次男の国公立後期発表まであと一週間。不合格だった際の浪人プランも決まり、ようやく私の心に少し余裕が生まれました。
しかし、入れ替わるように深刻さを増しているのが、4月からグループホーム(GH)入所を控えた長女の情緒不安定です。
「お金がもっと欲しい」「銀行から引き出して」
エスカレートする金銭要求。GH入所への不安が、形を変えて私への攻撃や駄々となって現れています。「毒親」というネットで覚えた言葉を投げつけられるたび、私の心は削られていきます。
2. 「兄弟児」に負担を背負わせないために
長女は時折、「私がいない間にみんなでご馳走を食べるんでしょ」と疑念を抱きます。私は「次男も大学で家を出るんだよ」と、みんなそれぞれの場所へ行くのだと言い聞かせています。
親が元気なうちはいい。でも、いつか私たちはいなくなります。
その時、自らのキャリアを築いている兄弟たちに、長女の世話という重荷をすべて背負わせるわけにはいきません。GHでの生活に順応してもらうことは、家族全員がそれぞれの人生を歩むための、避けては通れない「練習」なのです。
3. 「福祉」を利用することへの負い目と、地域の目
私は今、自治会のボランティア活動に身を置いています。正直、会議やイベントの世話は億劫に感じることもあります。
それでも役員を引き受けているのは、心のどこかに「福祉に頼り切っている自分」への批判をかわしたい、という思いがあるからです。
「母親は仕事もせずに、何をしているのか」
そんな視線が怖いのかもしれません。堂々と福祉を頼りづらい空気を感じるからこそ、ボランティアという形で地域に貢献し、自分を正当化しようとしている。そんな私の「いい加減さ」もまた、現実です。
4. 結びに:凸凹な家族が、それぞれの場所で見つける縁
3月10日の前期発表では、次男は残念ながら番号がありませんでした。
けれど、もし後期で縁がつながれば、かつて長男が家庭教師をしていた子と同級生になるという不思議な縁も待っています。
受験、障害、そして地域の付き合い。
正解のない問いばかりが続く毎日ですが、泥臭く、時に「福祉」という杖を借りながら、この凸凹一家なりのゴールを見つけたいと思います。

