逆らえない「勾配」と、整えていく「余白」 ――2025年、最後の大仕事

ライフスタイル

今年も残すところあとわずか。

私にとっての今年の「大仕事」は、年賀状でも大掃除でもなく、キッチンの配管掃除でした。

実は半年以上、騙し騙し使ってきた排水の詰まり。

高圧洗浄を頼めば数万円。その出費を惜しんで、ワイヤーや薬品、スッポンを駆使して自力で戦ってきましたが、ついに限界を迎え、プロの手を借りることにしました。

そこで判明した、驚きの事実。

我が家の配管には、あるべきはずの「勾配」がなかったのです。

「自分のせい」ではなかったという安堵

「なぜ、普通に使っているだけなのに詰まるのか」

「私の手入れが、人よりズボラだからだろうか」

ずっと心のどこかで自分を責めていた疑問の答えは、物理的な構造にありました。

流れるべき場所が、流れない仕組みになっていた。

原因が分かった瞬間、詰まっていた汚れと一緒に、長年の胸のつかえがスッと消えていくのを感じました。

「原因がわかれば、対策ができる」

これからは数年に一度、プロに頼んでリセットすればいい。

それは決して「無駄な出費」ではなく、この家で心地よく暮らしていくための「必要なメンテナンス」なのだと、自分を許すことができました。

前倒しの大掃除がくれた、心の余裕

今年は、秋のうちに大掃除を済ませていました。

窓掃除にカーテン洗濯、そして一番大きな山だった二段ベッドの処分。

ToDoリストにチェックを入れていくたび、家の中に「余白」が生まれていくのが分かりました。

昨日、年賀状も注文して、今の家の中は、高圧洗浄後の配管のように風通しが良くなっています。

世の「できる主婦」なら、ここからお節料理の段取りに入るのかもしれません。

けれど、私は今年も、義実家の好意に甘える予定です。

変わりゆく「お正月」の風景

ただ、今年は少しだけ景色が違います。

いつも美味しい手料理を振る舞ってくれたお姑さんが、「今年は初めてお節を買ったの」と教えてくれました。

作る体力がなくなってきた、という寂しいけれど、切実な変化。

これまでは「お客さん」として座っていればよかったけれど、今年はそうもいきません。

かといって、料理が苦手な私が、お姑さんの代わりを完璧に務めることもできません。

「どこまでお手伝いすれば、お義母さんが一番楽になれるかな」

そんな風に、相手の今の体温に合わせた距離感を探ることが、今年の私の冬の宿題になりそうです。

完璧な「故郷」は作れなくても、詰まりを直し、不要なものを捨て、今ある縁を大切に扱う。

そんな等身大の年末を、穏やかに過ごしていきたいと思っています。

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