母からの長電話と、家族の系譜を巡る独白

家族

昨日は母から電話があり、1時間ほど話し込みました。

数ヶ月に一度のペースでかかってくる母からの電話。すぐに出ないと、母は決まって不安がります。「事故に遭ったのでは?」という心配ではなく、「嫌われて避けられているのではないか?」という見捨てられ不安に近いものです。

母のこの性質は、おそらくその生い立ちに根ざしています。

母の実母(私の祖母)は、当時としては珍しいキャリアウーマンでした。産業保健師として忙しく働く祖母の代わりに、母は母の母に育てられたそうです。非常に厳しく育てられたその時の寂しさが、80歳を超えた今もなお、母の心に影を落としているのかもしれません。

そんな祖母は、上品で多才な人でした。料理上手で、和紙の日本人形を作り、温室で蘭を育てる。しかし、その柔和な笑顔の裏で、重度の睡眠障害を抱え、薬を常用する神経質な一面もありました。その連鎖は母とその妹へも、形を変えて引き継がれているようです。

私の父は、そんな母の実家に婿養子として入りました。

警察官の父を持つ苦学生だった父は、大学院まで進み、留学もして、教師となりました。しかし、私が10年前に移り住んだ土地で聞いた「婿養子はうまくいかない」という古くからの言葉通り、両親の仲は常に冷え切っていました。

母は長年、情緒不安定でした。異性関係も派手で、波瀾万丈という言葉では足りないほどの人生を歩んできました。「家族の和」よりも自分の感情を優先してきた母。

けれど、80歳を過ぎて、母はようやく穏やかになってきました。

亡くなった長男(私の兄)の一家にも遺産を遺すと遺言書を書いてくれたと聞き、「なんだかんだ言っても、やはり母親なんだな」と、少しだけ救われた気持ちになりました。家族に見切りをつけて別の女性に拠り所を求めた父とは、対照的な母の「執着」の形なのかもしれません。

あと何回、こうして長電話ができるでしょうか。

母のとりとめもない話に付き合うこと。それが、今の私にできる数少ない親孝行の形だと思っています。

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