今、グループホームで落ち着いて過ごしている長女。
しかし、半年前の私たちは、大きな人生の岐路に立っていました。
当時の日記を読み返すと、長女を「自立」へ導くために、薄氷を踏むような思いで過ごしていた日々が蘇ります。
「邪魔者だから」と思わせたくない
私の最優先課題は、長女に「自分が邪魔者になったから家を出される」という悲しい誤解をさせないことでした。
ちょうど弟が大学進学で県外へ出るタイミング。「二十歳になったから、あなたも自立の準備をしようね。お兄ちゃんも18歳で家を出たでしょう?あなたが一番長く家にいてくれたんだよ」と、ポジティブな「自立」であることを繰り返し伝え続けました。
離れて初めて知った、自分の「緊張状態」
練習のために始めた1週間のロングステイ。
修学旅行以外で初めて離れて暮らす夜、私は不思議な感覚に陥りました。
• 隣の部屋で寝ている娘を起こさないよう、物音を立てない癖が抜けない。
• スーパーで無意識に娘の分の食材を引き算して買っている。
娘がいない静かな家で、自分がどれほど毎日、神経をピリピリと張り詰めさせていたのかを初めて自覚したのです。解放感と共に、空っぽになったような脱力感に包まれたことを覚えています。
精神的な「発熱」と、母としての葛藤
順調に見えた練習期間中、娘が微熱を出して早退することがありました。
主治医からは「精神的な理由で熱が上がる子もいる」と言われ、彼女なりに新しい環境で必死に頑張っているのだと胸が締め付けられました。
同時に、福祉の職員さんとのやり取りの中で、「お迎えに行きたくない母親だと思われていないか」と人目を気にして疲弊してしまう自分もいました。
「軽度知的障害の子育ては、普通の子育てよりもずっと大変。言うことが通じない娘を憎く思ってしまうことだってある」
そんな本音を飲み込みながら、修羅場をいくつも乗り越えてきたことで、少しずつ娘を「仏のような眼差し」で見られるようになってきたのかもしれません。
張り詰めた心が軽くなった、娘の「一言」
そんな激動の日々の中で、救いとなったのは娘自身の言葉でした。
妹に「私は夏頃には一人暮らしをするから」と呟いているのを聞いた瞬間、張り詰めていた私の気持ちが、ふーっと軽くなりました。
彼女なりに、新しい生活を自分の未来として受け入れようとしてくれている。
親が元気なうちに、本人の意思を尊重しながら進める「自立の準備」。
それは、親子がそれぞれの人生を歩むための、手探りの、でも大切な愛の形だったのだと今、改めて感じています。


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